太陽の塔が残すもの:万博の熱量と記憶

1970年の大阪万博のシンボルとして建てられた《太陽の塔》が、重要文化財に指定された。多くの万博建造物が姿を消すなか、築55年となる岡本太郎のこの作品が保存の対象となった意義は大きい。

当時の万博テーマは「人類の進歩と調和」。高度経済成長の絶頂期にあり、建築界では「メタボリズム(新陳代謝)」と呼ばれる建築運動が勢いを増し、丹下健三が設計した巨大な大屋根も、その象徴として注目を集めていた。そうした未来志向・近代化を謳う会場のなかで、《太陽の塔》は、人間の内面や自然との関係を問いかける、異質な存在だったとも言われる。

そうした「異物」が半世紀を経て、保存に値する文化財とされた背景には、岡本太郎の構想や思考が、造形を通じて強いメッセージを放ち続けていることがあるのだろう。

昨年の夏、ふと思い立って万博記念公園(大阪府吹田市)を訪れた。内部にある展示「生命の樹」で、進化の過程を象徴する構造を見たあと、通路の壁に並ぶモノクロ写真に思わず足を止めた。丹下健三らと模型を囲んで議論する岡本の姿、仮面や神像の候補に囲まれた制作風景──そこには、ひとつひとつの造形に注がれた熱量が、写真越しにも立ち上っていた。形に込められた批評性や情熱が、今なお見る者に訴えかけてくる。

現在、万博記念公園に残るのは、《太陽の塔》と大屋根の一部のみ。当時は巨大な大屋根の中心を垂直に突き抜けるようにして塔が据えられていたが、いまその大屋根は存在しない。もし残っていたら、《太陽の塔》の印象もまた、違ったものになっていただろう。

川崎市岡本太郎美術館で開催中の企画展(~7月6日)では、当時の地下展示や大屋根を、日本工業大学の学生が仮想現実(VR)で再現した映像が上映されているという。開催当時の展示をたどるような臨場感が味わえるそうだ。こうした記録や映像もまた、当時の技術や思考の痕跡を今に伝える貴重な資料だと感じる。できれば今後、この映像と《太陽の塔》の実物とを並行して観覧できる機会が増えてほしいと願っている。(文・写真:柳沢伸也)

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